AKATUKI J9についてのご説明
AKATUKI J9はバサラです。
「ここに知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は666である」
(ヨハネの黙示録13章18節)
現在より666年前
時はグレゴリー暦1340年から始まる南北朝時代。
自身の実力に目覚めた新興武士達(佐々木導誉・土岐頼遠等)の生活意識・美意識とそのハデな表現は「婆娑羅(バサラ)」と云われました。
その行動は、古い権威への徹底した対抗を第一義とし、万事に派手で豪壮でストレートな形でしたが、一方的に旧文化を破壊するものではなく、旧文化と競合する事で融合し、新しい文化を生み出す温床となりました。この傾向は南北朝時代を通じて続き、室町前期の北山文化へと発展しました。
バサラは、婆沙羅・伐折羅・伐闍羅・跋折羅・婆娑羅とも書く。
バサラの語源は、サンスクリット語のVajra(金剛石)
=すべてに優る硬度を持った智彗
=ダイヤモンド。
また、[Diamond]の語源はギリシャ語のAdamas(征服できない)に由来する。
「バサラ」は、自然発生し、それ自体分派をしない独立した「風調・気風」を意味する抽象名詞。
時代を変えるのはバサラ
日本では、バサラが権威衰退期から変革期に現れる特徴があります。
ちなみに南北朝時代から遡ること666年、グレゴリー暦675年頃、天武天皇はそれまでの大王から天皇号を創始し、豪族所有民を廃止しています。
さらに666年を遡るとグレゴリー暦9年、トイトブルグ森の戦いでローマ軍はゲルマン族に敗れ、日本では100余国の闘争から倭奴国へと統合しはじめています。
さて、バサラ大名として、足利直義、佐々木道誉、高師直・師泰兄弟、土岐頼遠、織田信長、松永久秀、豊臣秀吉、伊達政宗などがいます。
戦国末期から江戸初期にかけても、わざと髪を乱したバサラ髪というヘアースタイルを好み、湯屋で湯女(ゆな)遊びをする時に、暑いのを我慢して「丹前」(たんぜん)など綿いれ着て、町中を大太刀さしで「六法=六方」(ろっぽう)を踏みながら、まさに闊歩していました。これが「傾(かぶ)いた武士」の風俗で「傾奇者(かぶき者)」と言われ現在の歌舞伎様式に繋がります。大石内蔵助等の討入もバサラ的心情の行動といわれます。
旗本・新見正朝著「むかしむかし物語」(1722年刊)によれば、
1.身持ち・食物などふやけたものを嫌い
2.好色を好み
3.刀・脇差は焼き刃の強いものを好み
4.「侍道(さむらいみち)」の勇気を重んじ
5.人に頼まれ、人のためには命も惜しまず
6.上下関係を重んじ、親方・老人を大切にして
7.自分の命を捨てても他人を救い
8.徳を重んじ
9.性根がすわり
10.武芸に精を出し
11.人のできないことやり
12.敵対したものを許さない
と記され、AKATUKI J9の概念はこれに「All The GoでAvant-gardeなトレンディ」を足したものです。
NYC King St.にあった”Paradise Garage”でLarry Levanの下に毎夜人々が集まりMusical Genreを超えた選曲に新たなGrooveを見出していた頃、AKTUKI J9の面々はアニメに夢中でした。
テクノとウォークマンが世界ブームになり、Lennonが他界し、LondonではRare-Grooveが起き名曲発掘作業に追われていた1980年からの10年の間、ドップリと日本アニメに浸かり、その多彩なShow Tuneから音楽にContactした彼らにとって、同時期に起きていた現象、Garage(ガラージュ)は自然な事であり、それはその後のSpeed Garageであっても、2stepや4/4 、Grime、DubStepであっても同様でそれを意識することはありません。a priori(ア・プリオリ)に知っているのです。
ちなみに80年代日本で放送されたアニメは代表的な作品だけでも以下の数になります。これらのSound Trackから溢れる音楽の分量とImpactは計り知れません。そして、これこそがAKATUKI J9の源泉であり、時代のIncarnationの証なのです。
現代に現れたバサラであり、その「依り代」としての使命を果たすべく、結成したAKATUKI J9にとって音楽とは、media vehicleに載り Releaseするだけではありません。現在という気分を時空に見出し、多岐にわたる活動分野(調理「音」)であり治療行為「音」であり)まで含めて表出し、社会にContactしてこそ「バサラ」であると考えます。 AKATUKI J9は、Hardcore Industrial Performerであり、すでに国外ではBasement JaxxのFelix BuxtonからDrumrollされ、NARASのNeil Portnow氏(アメリカ芸術科学アカデミー会長)と面会もしました。